【TOP対談~変革者に聞く】#01 ウィズコロナ・アフターコロナ、 これからの時代を医師として、 経営者として、どう見据えるか。<前編>
COVID-19感染流行から1年以上経ち、引き続き医療業界に多大なる影響を与えています。
今回は、2019年7月に行われたFriendship Meetingで、基調講演をしていただいた(下写真参照)大阪大学大学院医学系研究科、名誉教授である澤芳樹氏と、株式会社キャピタルメディカ代表取締役である古川淳がそれぞれの立場から語り合いました。
詳細なご経歴は澤教授のホームページをご覧ください > http://sawayoshiki.com/
COVID‐19の世界的流行に対峙して
古川:
2020年から現在に至るまで、COVID– 19は医学的にコントロールができておらず、収束の見通しも立っていません。さまざまな課題があるなかで、澤教授の周りではどのようなことが起こっていましたか。
澤:
私がいる大阪大学の医学部附属病院では、ICUが30床あり、第1波の頃には15床、第2波では20床、第3波では大阪で感染者が激増したため、全床で受け入れました。
世間にも有名になったECMO(体外式膜型人工肺)は2000年ごろに当病院から開発・導入が始まったこともあり、現在20台ほど確保しています。一方で通常の心臓手術は、これまで年に1000件、週に20件ほどやっていたところを最大2/3まで減らしていました。
古川:
大学病院の役割とはいえ、通常の診療とCOVID– 19の診療を混在させることは大変ですね。
全国にあるパートナー病院でも、それぞれの地域で医療のひっ迫を感じました。まず発熱外来の設置やゾーニングなどから取り掛かりましたが、病院の特色や患者の状態によっては、すぐに対応できないこともあり、支援の難しさも痛感しました。地域によってはECMOが1台だけ、重症になっても送れる病院がなく、そのまま看取りの準備をしなくてはならないケースもありました。
また、別の地域ではコロナ患者に対応できる病院が数か所しかないなか、ひとつはクラスターでロックダウン状態であったため、厚労省や知事をはじめとする自治体と面談をして、我々のパートナー病院がコロナ専門病棟を開設しました。地域医療の崩壊を未然に防げた事例だと思います。その際、院長とはコロナ患者の受け入れについて、かなり話し合いをしました。地域の現状を理解しているが、院長にはスタッフを守る義務があると。澤教授は医師の立場としてどう思われますか。
澤:
医師の立場として考えると、院長は難しい判断を迫られていたと思います。当初は見えない敵と戦うような気持ちで不安があったと思います。設備や機材、スタッフの配置はもちろん、病院の専門性などもあって、患者を受け入れるリスクが高いと判断した病院も多いのではないかと。少しずつウイルスのことも解明され、徹底して感染対策を行えば怖いものではないとわかってきましたし、ICUでのクラスターも非常に少ない。これは海外と違って日本のすごいところです。
古川:
今回のコロナ禍では民間病院の果たす役割が多く、その存在意義について改めて考えさせられました。しかし業界の特性でもありますが、課題があっても外部からは見えにくい。もっとパブリック化していけば、おのずと、あるべき姿が見えてくる、という思いがウィズコロナで強くなりました。
アフターコロナの世界
古川:
ワクチン接種も進み、アフターコロナの世界も見えてきました。
澤:
私は長年、心臓外科の治療をするなかで、”人の命の大切さ“を常に身近に感じてきました。それが2014年から学生とともにスタートさせた『inochi未来プロジェクト』、そして私が誘致から携わる2025年の大阪・関西万博のテーマ『いのち輝く未来社会のデザイン』にも繋がっています。当初は高齢社会において、命の大切さを呼びかけるためのテーマでしたが、アフターコロナでは、死生観や人生観について考える進化した世の中になってほしいと、強く思っています。
古川:
テレワークや、ワークシェアリングなども浸透しました。職場や仕事に縛られていた時間をどう豊かに生きていくか。これは『世界中の人々がよりよく生きる(well‐being)』という万博が提案するテーマとも通じています。前回の大阪万博が開催された頃は物質的に豊かな社会を目指していましたが時代は進歩し、今度の万博は精神社会へ移行する大きなターニングポイントになるのではないかと楽しみです。
※※※<後編>へ続く※※※