【TOP対談~変革者に聞く】#02 信仰にも通じる“癒し”の力は、これからの医療のキーワード。<前編>
1300年の歴史で達成者はわずか2人。
この世で最も過酷な荒業とされる「千日回峰行」を満行し、その後「食べる・飲む・寝る・横になる」の4つを禁じて9日間、真言を唱え続けるという「四無行」も満行された、塩沼亮潤大阿闍梨と、株式会社キャピタルメディカ代表取締役の古川淳が、これからの医療の在り方について語り合いました。
詳細なご経歴は慈眼寺のホームページをご覧ください > http://www.jigenji-sendai.com/
過酷な修行で悟ったのは「みんな仲良く」
古川:
改めてお聞きしたいのですが、「大峯千日回峰行」とは、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂から24㎞先にある山上ヶ岳頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355mある山道を往復48㎞、1000日間歩き続ける修行とのことで、ひとつ間違えば死が待ち受けているような修行になぜ挑もうと思ったのでしょうか。
塩沼:
小学生のときにテレビで酒井雄哉大阿闍梨の千日回峰行を見て、純粋に「かっこいい」と憧れを抱いたのが最初です。
それから歳を重ねるうちに「この世は戦争ばかりで、どうして誰もが平和に暮らせないのか」といった疑問を持つようになりました。修行をすることで、何か解決の糸口やそれに準ずるものが得られるのではないか……そんな暗闇の中で一筋の光を探すような微かな期待感が、私を修行へと向かわせた一因です。
古川:
以前お会いした際に、修行で悟ったことを聞いたところ「みんな仲良く、ですよ」とひと言で返され、度肝を抜かれたことを覚えています。非常に平易な言葉の中に、深さと真実があるなと。同時に、簡単そうで難しい。「みんな仲良く」な世界を実現するためにはどんなことが必要なのでしょうか。
塩沼:
誰もが相手の立場を考えながらコミュニケーションすることです。文化、人種、宗教、考え方……。この世には多種多様な人が暮らしています。自己の常識を押し付けるのではなく多様性を認め、相手を尊重することが、まずは何より大切ですね。
古川:
お話を聞いて、手痛い失敗を思い出しました。何年か前、東南アジアのとある国に日本の優れた病院オペレーションを持ち込もうとしたことがあります。そのときまさに「効率的だから」と、現地の人々に我々の常識を押し付けていました。結局そのやり方では現地の文化や価値観と合わず、早々に撤退することになりました。今思えば、より現地の人々に理解を示しながらコミュニケーションを取っていれば、もう少し違った結果になったかもしれないと感じています。
患者さんに大安心(だいあんじん)を
古川:
病院におけるコミュニケーションを考えたときに、特に病院側としてはどんな姿勢が求められると言えるでしょうか。
塩沼:
それは安心、仏教的に言えば「大安心(だいあんじん)」を与えることだと思います。「病は気から」と言います。同じ病気の人でも「私は治るんだ」と思っている人と「もうだめだ」と思っている人では、自然治癒力にも差が出るでしょう。病院に来る人は少なからず不安や心配を抱えてくるはずなので、まずは患者さんを安心させること。これをお医者さんは心がけてほしいですね。
古川:
なるほど。まず安心させることが、治癒の始まりであると。
塩沼:
そう思います。今はパソコン画面ばかり見て診察を終えてしまう医師も多い印象です。
古川:
大安心(だいあんじん)の効果をもっとわかってもらいたいですね。大安心(だいあんじん)を与えられる医師とは、どんな医師なのでしょうか。
塩沼:
やはり基本は相手の立場になれるお医者さんだと思います。私自身の例を出すと、家の近所にゼロ歳のときからお世話になっている町医者があります。そこの先生はすごく雰囲気がよくて。私にとっては顔を見たり声を聞いたりするだけで安心するような先生です。先日お亡くなりになってから知ったのですが、彼は敬虔なクリスチャンでした。深い信仰心、信心を持っていたからこそ、包み込むようなやさしさを提供できる人だったのではと、私は妙に納得しました。
古川:
信仰がある人は人にやさしく、相手の立場になれる人が多いということかもしれませんね。
塩沼:
信仰がある人は対人関係も大事にしている気がします。コミュニケーションが冷たかったり荒々しかったりする人はいないイメージです。
神や仏を信じることは、ともするとスピリチュアルなものと捉えられがちですが、自分の親、その親、と追っていくと、必ず“偉大な誰か”にたどり着きますよね。だから私は、親のずっと延長線上にいると思われる神や仏に対しても「親子関係」のように敬意を払っています。常日頃から誰かを敬っている人間は、やはり相手の立場で考えることも自然と身についているでしょう。
古川:
日本で初めてホスピスという概念を導入した病院が札幌にあります。末期がん患者が最期の1ヶ月間、1週間を気持ちよく過ごすための病院、と言えるでしょう。院内にはプレイルームがあり、神父さんもいて、お祈りしたり、会話したりして過ごせます。ほんの一部ではありますが、信仰が医療とうまく連携している一例だと思います。
私自身もサルコーマによって絶命した実兄に寄り添った経験から、ホスピスという考え方の重要性に気づきました。
病院は“癒し”を求められる場所なのかもしれない
古川:
ところで、日本人の平均寿命が伸びたのは、高速道路と冷蔵庫の普及と、住環境の変化と出産環境の変化だと言われています。
塩沼:
医療は含まれないのですね。ちなみに高速道路はどういうことですか?
古川:
新鮮な食材が全国各地に行き届くようになり食の安全と公衆衛生の向上したということですね。特に塩分摂取量が激減したので高血圧患者が減り、当時死因トップであった脳出血による死亡者数が減ったのです。
もちろん医療も進歩していますが、最終的に病院は心の安寧を提供している場所としての役割が大きいと言えるのではないかと。
塩沼:
なるほどそうかもしれないですね。ちなみに徳川家康に仕えていた天海というお坊さんは、平均寿命が30代とも言われる時代に、108歳まで生きました。その天海が、長生きの秘訣はこうだと言っています。
1に粗食。食べ過ぎないこと。2に日湯。毎日お風呂に入ることですね。3にぶらりぶらり。これは精神的に思い悩まないことだそうです。
TOP対談2_福聚山 慈眼寺 住職_塩沼亮潤大阿闍梨03
古川:
3のぶらりぶらりはまさに心のケアに通じているように感じますね。
塩沼:
ストレスを抱えないことは健康にとってとても大事だと思います。それは、我が家の犬を見ていても感じました。何年も前に、同時期に4匹飼い始めたのですが、一番自由奔放な性格の犬が一番健康で長生きですから。他のリーダーの犬や神経質な犬と比べても一目瞭然です。
だから病院で言えば、ストレスを解消させてあげる、癒してあげることは本当に効果の高いことなのではと思ってしまいますね。
※※※<後編>へ続く※※※